中国IT界を代表する巨人、テンセント(Tencent:腾讯)の日本法人で活躍される、裘彬濱(キュウ ヒンビン)氏へのインタビュー企画の第2回。今回は、中国と日本、双方のIT業界を経験した立場から、両者の技術開発力や働き方などの違いについて、率直な意見を伺いました。
●Profile
Tencent Japan
Cloud and Smart Industries Group
Senior Solution Architect(シニアソリューションアーキテクト)
裘彬濱(キュウ ヒンビン)
1988年、中国浙江省出身。大学進学時に日本留学を志し、名古屋の南山大学に入学。ソフトウェア工学科を卒業後、日本で大手通信系企業に入社し、クラウドの導入・構築などを経験。その後、中国系のIT企業数社で活躍した後、Tencent Japanに入社し、現職。
―ここからは、中国と日本、双方のIT業界をよく知る裘さんに、両国の間にどんな違いがあるかをお聞きしたいと思います。まずはその前提として、裘さんのキャリアを伺っていきたいのですが、そもそも来日されたきっかけはどのようなものでしたか?
裘:私は1988年生まれですが、私たちの世代、特に外の世界に対する好奇心が強い中国の若者のほとんどが、日本に対して“非常にクリエイティブな国”という印象を持っています。これはITや自動車、ロボットなどの技術面だけでなく、日本のアニメやコミックなどのキャラクター人気も非常に高いものがあります。私自身、「鉄腕アトム」など日本のアニメや、「ASIMO(アシモ)」など日本のモノづくりに関心があって、いつかは日本で学びたいと思っていました。
―そうした興味から、日本の大学へ留学されたわけですね。
裘:友人の誘いもあって、外国人留学制度のあった名古屋の大学で、理工学部に入りました。当初はモノづくりのために機械工学を専攻するつもりでしたが、プログラミングの面白さに惹かれてソフトウェア工学科を選択。大学卒業後は安定志向もあって(笑)、そのまま日本で大手キャリアに入社しましたが、そこでクラウドの導入に関わったことが、今でも大きな財産になっています。
―そんな裘さんが、テンセントに入社されたのは、どういった経緯からでしょうか?
裘:テンセントが創業したのは私が10歳のときですが、「WeChatPay」が爆発的に広がった時期には日本にいて、中国には数年に一度、帰国するくらいでしたので、あまり実感はありませんでした。ところが、就職して数年後に帰国すると、スマホによるキャッシュレス決済が急激に普及していました。大手スーパーなどはもちろん、街中の屋台でもスマホだけで買い物ができるのを見て、「これはヤバイ!」と感じました。当時、まだ日本ではスマホ決済がそこまで普及していなかったので、このまま日本企業に勤めていては、技術面で中国企業に置いていかれる、という危機感を抱いたのです。
―中国と日本での技術普及スピードの違いを実感されたわけですね。
裘:そこで、安定志向もかなぐり捨てて(笑)、大手キャリアから中国系のIT系企業に転職。そこでもクラウドに携わるなかで、中国産クラウドの発展を自分の手で推進したいという想いを抱くようになり、縁あってテンセントジャパンへ入社し、今に至ります。
―裘さんが実感されたように、中国と日本ではキャッシュレス化に大きな差がついていますが。その背景には、「WeChatPay」に代表されるような技術革新の有無が影響しているのでしょうか?
裘:中国が日本よりキャッシュレス化が進んでいる背景には、技術面だけでなく、環境の違いもあると思います。中国は、決済インフラが未整備のため、キャッシュカードが使えないケースが多く、さらに偽札が多く出回っているため現金決済にも不安があります。このため、他国以上にキャッシュレス決済が求められる土壌がありました。
テンセントが「WeChatPay」を展開したのも、老若男女を問わず普及しているスマホに決済機能を与えることができれば、より便利な社会づくりに貢献できると考えたためです。
―なるほど、日本よりも必要性が高かったからこそ、キャッシュレス化が進んだという側面もあるのですね。
裘:もう1つ、「WeChatPay」に限らず、テンセントのビジネス全体が急拡大した理由でもあるのが、中国におけるスマートフォンの爆発的な普及です。中国ではスマートフォンが比較的、安価なこともあって急速に普及が拡大。今や老若男女を問わず、誰もがスマホを持っています。2012年にはスマホによるインターネット閲覧者が、PCからのそれを上回ったというデータもあり、日本がそうなったのは2016年ですから、普及する速度が日本よりも急だったと言えます。
―中国の皆さん、特に高齢者の方々は、それだけ急激な変化に対応できているのでしょうか?
裘:確かに、日本ではスマホユーザーは若者が中心で、特にスマホ決済は高齢の方にはハードルが高い印象があります。中国でも同様の傾向はありますが、例えば祖父母がお孫さんにお年玉をあげるのに「WeChatPay」を利用するなど、家族間のコミュニケーションを通じて使い方が浸透していっているようです。その意味では、スマホや「WeChatPay」の普及が中国の人々のITリテラシーの底上げにも貢献していると言えるかもしれませんね。
―「WeChatPay」は近年、日本でも普及が加速していますので、いずれは日本も同様の状況になるかもしれません。
裘:テンセントは近年、日本だけでなく「WeChatPay」のグローバル化を進めてきましたが、これも先述したペインポイント戦略のあらわれと言えます。近年の中国では海外旅行が人気ですが、国内でキャッシュレス決済に慣れていると、海外で買い物を楽しむ際にも同じような環境を求めるものなので、そうしたユーザーの声に応えるためにも、「WeChatPay」が世界中で利用できる環境を整備しようとしているのです。
―なるほど。まさに中国人観光客のペインポイントを見据えた事業展開ですね。
裘:同時に、増加する中国人観光客の購買意欲を取り込みたいという、各国の商業施設のペインポイントでもあります。最近では、「WeChat」上で展開できるミニプログラムが外部にも公開されていて、これを活用して各国の企業が独自のアプリケーションを開発しています。例えば空港施設ではレンタカーや観光案内、「WeChatPay」が利用できる店舗を地図上に表示できるようにするなど、中国からの観光客向けの情報サービスを充実させています。
―前回、仰っていた、他社とのWin-Winの関係づくりの好例と言えますね。
―裘さんは、日本のエンジニアと中国のエンジニア、両者の間にはどのような差があると感じますか?
裘:私は学生時代から日本で学んできましたが、もちろん個人差はあるものの、全体的な印象で言えば、新しい技術や知識に対する好奇心や順応性といった資質は、中国人でも日本人でも変わりはないと感じています。
にもかかわらず、現実には両国間で産業の成長や新技術の普及スピードに少なからず差が出ています。その背景には、企業における働き方の差があるのではないかと思っています。
―裘さんが感じる、日本企業と中国企業での働き方の違いとは、どのようなものでしょう?
裘:ごく個人的な感想ですが、日本と中国の働き方の最大の違いは、雇用形態にあると思います。日本では終身雇用が主流ですが、中国では、そもそも終身雇用という発想がありません。雇用契約には期間が定められていて、期間ごとに企業側が更新するかどうかを判断します。従業員は雇用契約の期間中に何らかの成果を出すことが求められますから、常に刺激というか、危機感にさらされているわけです。
―確かに、それだと働く側の意識に大きな違いが出てきますね。
裘:また、少子化で人口減少に転じた日本と違って、中国は人口が多く、今年も800万人が大学を卒業しました。当然ながら就職にあたっての競争も厳しくなり、生き残ろう、勝ち残ろうという意欲も強くなります。それが入社してからもずっと続くわけですから、自然とビジネスのスピード感にもつながっているのでしょう。
―一人ひとりが常に競争意欲を持って取り組むことで、仕事にスピード感が生まれてくるわけですね。
裘:組織の意志決定の手法も異なります。日本では、あるアイディアが浮上した場合、実行するかどうかを上司と相談し、さらに部門長と相談、さらに経営会議にかけるなど、何度も議論を重ねた上で結論を出す傾向があります。もちろん、これにはリスクをヘッジしたり、細部を詰めて成功率を高めたりといったメリットもありますが、どうしてもスピード感は出ませんよね。
中国企業の場合は、関係者で議論して、行けると思えばすぐにGoを出します。こうした意志決定のスピード感の違いが、とくにITのような新しい分野では、大きな差につながっているように思われます。
―耳の痛い言葉が続きますが、日本企業がこれから競争力を高めていくうえで、何が必要だと思われますか?
裘:偉そうに意見できるような立場ではありませんが(笑)、最近では、日本でもトヨタ自動車など大企業から「終身雇用を見直す」と言った声も聞こえてきますし、「アジャイル開発」のようにスピードを重視する開発手法が広がっていることからも、従来のままではいけないという危機感が広がっているのだと思います。今回の冒頭でも述べたように、日本人のクリエイティビティーは誰にも真似できないものがありますし、“職人気質”とも呼べる細部へのこだわりなど、日本人ならではの強みはたくさんあります。
実際、私は日本での勉強やビジネスを通じて、日本の人々から多くの“気づき”を与えられました。テンセントも日本を有力なマーケットと認識していますので、これからWin-Winの関係で、ともに成長していけたらと思っています。